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絵本『ちびくろ・さんぼ』人種差別による絶版問題を抱えたロングセラー

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ジャングルを舞台にした『ちびくろ・さんぼ』は120年以上前から世界中で読み継がれてきた古いお話で、日本でも様々な挿絵にて出版されてきた名作。

かの有名な「虎がぐるぐる回って……」のアイデアの素晴らしさには、何回読んでも脱帽です。

この瑞雲舎版の挿絵はアメリカの挿絵画家の手によるもので、コントラストの効いた原色の色使いが素晴らしく、デザイン性も抜群。

これほど読んでいて楽しく、子供時代の記憶に強く残る絵本はそうそうありません。

 

しかし、一方で『ちびくろ・さんぼ』は重い十字架を背負っている絵本です。

この絵本を取り上げるには、植民地と人種差別、この2つのキーワードを避けては語れません。

特に人種差別に関しては、日本でも一斉絶版措置が取られた事態にまでなりました。

一体なぜ、長年愛されてきた絵本が絶版される羽目に陥ったのか?

その問いに答えるには、まず『ちびくろ・さんぼ』が生まれた経緯、そして辿ってきた歴史を紐解く必要があります。

その全てを知れば、『ちびくろ・さんぼ』を子供達へ読みきかせて良いものか、皆様は判断を問われる事になるでしょう。

 

 

 

簡単なあらすじ

さんぼはジャングルに住む男の子。

お父さんのじゃんぼが、素敵な服と靴と傘を買ってきてくれたので、さんぼは早速着替えて、お散歩に出かけます。

しかし、ジャングルで次々に出くわしたのは、4匹の虎!!

「おまえをくっちゃうぞ!」と迫ってくる虎達から見逃してもらう為、さんぼは大切な服と靴と傘を泣く泣く差しだします。

すると、虎達はジャングルで1番素敵なのは自分だと主張して、喧嘩を始めて……!?

 

絵本の紹介

さんぼの魅力①ストーリーの面白さ

喧嘩した虎達が木の周りをぐるぐる回って、黄色いバターになる!!

絵本界屈指の名場面、この有名なアイデアのインパクトと面白さは抜群。

どうして虎がバターになるのか、なんて合理的な説明を求めるのは無粋でしょう。

読み聞かせをしていると、この場面での、子供の反応のアップダウン具合がとても楽しいですよ。

幾度も迫りくるさんぼの危機にハラハラし、虎達が喧嘩を始めてヒートアップしていく様にどうなる事かと息を呑んでいたはずが、虎がバターになった姿にあっと驚き、緊張が緩み、笑いが生まれていく……。

絵本ならではの荒唐無稽さとドラマティックさを臨場感たっぷりに楽しめるストーリー展開は、実に秀逸です。

 

また、虎のバターを使って、さんぼのお母さんのまんぼが焼いてくれるホットケーキが、最高に美味しそうなんですよ~~!

黄金色に焼き上がり、何十枚もお皿に盛られたホットケーキは、見ていて食欲をそそります。

それまでのドキドキハラハラの展開から一転、美味しそうなホットケーキを家族で楽しむ団欒のひととき。

もちろん、さんぼが着ているのは、お父さんのまんぼが買ってくれた素敵な服です。

 

我が子に対する両親の愛、家族愛があふれ、幸せな気持ちになるハッピーエンド。

危機を脱し、安心安全な我が家へ帰って、大好きな両親と一緒にホットケーキを山盛り食べるさんぼの姿に、子供は自分を重ね合わせ、自分自身も愛され、自分の家と家族も安心できる場所なのだ、と感じる事ができるのではないでしょうか。

長年読み継がれてきただけの事はある、素晴らしいストーリーです。

 

さんぼの魅力②絵とレイアウトが素晴らしい!

アメリカの挿絵画家フランク・ドビアスさんによって、90年以上も前に描かれたというのに、原色を大胆に駆使した強烈な印象の絵は、ストーリーに負けないインパクトがあります。

ジャングルの強烈な日差しを感じさせる鮮やかな配色は非常にモダン。

芸術性は感じても、古さは一切感じさせません。

特に主人公さんぼを黒・白・赤の3色だけでシンプルかつ鮮烈に描いた絵は、デザインとして、本当に美しいです。

 

更に、日本で出版された際に組み直された、ページ内のレイアウトも素晴らしいですね。

計算され尽くした絵の配置の工夫、虎の唸り声「ぐるるるるる」の文字がページをいきなり横切ってさんぼの元へ届く配置など、ダイナミックな緩急のつけ方をレイアウトでも演出しています。

視線移動をただ単調に右から左へ誘導するだけには済ませず、まるで何が出てくるかわからないジャングルのような面白さ!

ストーリーも絵もレイアウトも揃って優れているのですから、名作として愛されているのも納得です。

 

実は続編も……ある??

『ちびくろ・さんぼ』は、日本では続編が2冊出版されています。

 

 

 

ただし、どちらの絵もフランク・ドビアスさんではなく、別の日本人イラストレーターや漫画家がフランク・ドビアスさんのタッチに寄せて描いた絵。

また、3冊目に至っては、ヘレン・バンナーマンさんの作ったお話を原案として練り直した絵本です。

フランク・ドビアスさんが絵を担当した『ちびくろ・さんぼ』の純粋な続編と見るには、人によって判断は分かれるかも?

私も子供の頃に読んでいましたし、これはこれで可愛らしいお話……ですが、全体の完成度としては、やはり『ちびくろ・さんぼ』の圧勝です。

興味をお持ちの方は、ぜひ3冊を読み比べてみてください。

皆様のお子さんは、どのさんぼのお話がお好みでしょうね~?

 

さんぼの問題点①植民地

こんなに魅力あふれる絵本ですが、『ちびくろ・さんぼ』を語る上では、避けられないキーワードが2つあります。

そのひとつめのキーワードが「植民地」です。

 

『ちびくろ・さんぼ』の原本は元々、19世紀末、南インドへ赴任したスコットランド人軍医の妻ヘレン・バンナーマンさんが、教育の為に本国へ残してきた我が子達に向けて描いた手作り絵本。

本来の舞台はインドの竹が茂るジャングル、さんぼは黄色い腰巻を巻いたインド人の少年です。

数千キロも離れて暮らす子供達への愛情表現、そして自分達夫婦が住んでいる南インドがどんな場所かを子供達へ伝えて家族の絆を深めるよすがとして、描かれた絵本だったようですね。

 

ちなみに、日本では1999年に原本を初めて径書房が『ちびくろさんぼのおはなし』として出版(現在は絶版)。

私も目を通した事がありますが、ヘレン・バンナーマンさんご自身が描いた絵は非常に素朴な水彩で、いかにも家庭で描かれた個人向け絵本という印象でした。

子供のキラキラした瞳の愛らしさや利発さが表現されていて、我が子を思う気持ちが原動力の絵本と知った時には、さもありなんと納得する思いでしたよ。

この原本が知人を介してイギリスの出版社から1899年に刊行された事が、世界的ヒットの始まりとなったんですね。

 

実は、原本が描かれた19世紀末当時、インドはイギリスの植民地支配下にありました。

スコットランドは連合国としてのイギリスを構成する国家のひとつ。

従って、スコットランド人、しかも軍医の妻であるヘレン・バンナーマンさんの立場は、インドを支配する側だった訳です。

ヘレン・バンナーマンさんご自身がどのようなお人柄で、どのような人間関係を現地で築いていたか、私は把握していません。

約30年も住んでいらしたので、相当な思い入れはお持ちだったかもしれませんね。

ただ、ヘレン・バンナーマンさんとインドの関係は、イギリスの植民地政策が前提。

支配者としての立場にある軍関係者の妻から見たインドのイメージが影響し、その執筆経緯からしても、植民地が存在しなければ生まれなかったであろう絵本……それが『ちびくろ・さんぼ』です。

かつての植民地が次々に独立し、植民地支配に否定的な現代においては、植民地の産物という側面は若干マイナス……。

植民地支配には様々なプラスの影響もあった事を否定はしませんが、あまり大きな声で言えるような要素ではないですね。

 

絵本の生まれた経緯をどう捉えるか、人によって判断が分かれますので、問題視しない方もいらっしゃるでしょう。

植民地が何かを知らない小さな子供にとっては、当然ながら関係ない話。

けれど、私は植民地主義が『ちびくろ・さんぼ』を生む遠因になった事は、絵本の素晴らしさとは別として知っておきたい、と考えています。

 

 

さんぼの問題点②人種差別

さて、もうひとつのキーワードは「人種差別」。

このキーワードゆえに、『ちびくろ・さんぼ』はアメリカで批判を受けたと言われており、やがて日本でも問題視されました。

 

まず、お断りしておきますが、原本の差別的要素は薄いです。

植民地における関係性の影響は受けているかもしれませんが、さんぼが黄色い腰巻ひとつの半裸姿であっても、当時のインドの社会状況や習俗を考慮すれば、強い批判を生むものではないと感じますね。

もし原本がそのまま世界的に流通していれば、時代の変遷、インドの発展と共に、批判される要素はあったかも?

でも、今私達が目にしているのは原本ではありませんよね?

人種差別問題があると指摘されているのは、原本から派生した数多くのちびくろ・さんぼ作品群の方なのです。

 

まず、話がややこしくなった遠因は、20世紀前半のアメリカにおける海賊版の横行です。

著作権に対する意識が低い時代、アメリカでは、絵や設定を改変した『ちびくろ・さんぼ』の海賊版が数多く作られました。

当時のアメリカの一般家庭でイメージしやすいように、舞台はインドからアフリカのイメージへ、インドの少年だったさんぼはアフリカ系黒人の少年へと改変。

フランク・ドビアスさんの絵も、アメリカでの改変の流れに基づいて描かれたものです。

そういえば、私も子供の頃、この絵本を読んで、さんぼはアフリカに住む黒人の男の子だと思っていましたよ。

大人になってから、元はインドと知ってビックリ!

アフリカの話なのに、なぜライオンではなく、虎なんだろう……と思っていたら、改変の影響だったんですね。

 

この海賊版が軒並み黒人への人種差別を招く作品として批判されたのですが……では、一体何が人種差別なのでしょうか?

本記事では、フランク・ドビアスさんが絵を描いた『ちびくろ・さんぼ』を例として、簡単に説明しますね。

主な指摘は以下の3つです。

 

指摘①「さんぼ」という名前が、アフリカ系黒人に対する蔑称「サンボ」と同じ。

名前は原作も海賊版も一緒!

本来は南インドでポピュラーな名前らしいのですが、アメリカではアフリカ系黒人の蔑称とかぶってしまいました。

これは……非難を受けるのも致し方ないですね……。

偶然の一致とは言え、子供が読む絵本なのに、主人公と重なる特定の人種を侮蔑する名称がついているのは、さすがにマズイ!!

アフリカ系黒人が多いアメリカではなおさらの事、差別問題意識が世界的に高まったご時世では、日本でも批判する意見が出ました。

日本人に当てはめれば、「ジャッ○」みたいな感じかも?

ちなみに、さんぼの両親の名前にも、アメリカでは差別要素の響きがあるそうです。

よりによって、どうしてそんな最悪の一致をしてしまったんでしょうね……?

 

指摘②黒人の容姿を誇張して描いている。

容姿に関しては、フランク・ドビアスさんの描いた絵を見れば、答えは明解。

例えば、さんぼ達の肌の色、これは完全に黒1色で塗られていますね?

これが、黒人の肌の色を誇張し過ぎ……と指摘されるのですよ。

赤く分厚い唇や丸く見開いた目などの描写も、同じく誇張し過ぎ。

配色及びデザイン的には美しくとも、差別を助長する容姿の誇張的表現はアウト、という考え方なんですね。

日本人に当てはめるならば、東アジア人の目を細い糸のように1本の線で釣り上げて表現するのと、似た感覚かも。

 

「それが何か問題?」と思った方……今の時代は大問題なんですよ!

身体的特徴の誇張表現は、差別の常套手段として、昔からよく使われるものです。

顔を黒塗りにして黒人の真似をするのは、昔のテレビではよく見かけましたが、今やれば間違いなく批判殺到。

昔は誰も気にしなかったなんて言い訳は、世界中が瞬時にネットで繋がる情報社会の今、通用しません。

その意味で、フランク・ドビアスさんに限らず、アフリカ系黒人のイメージへと改変されたさんぼの絵本は、基本的にどれもが黒人の身体的特徴を誇張している為、アウトと判定されるのです。

 

指摘③ステレオタイプの黒人像を採用している。

これは特にアメリカで海賊版が量産された1900年代前半の侮蔑的な黒人像が、未だに残っている事に対する批判になります。

例えば、家族3人がホットケーキを大量に食べる場面は、かつて黒人を大喰らいとして侮蔑した考え方を映している、という指摘。

他にも、落ちている食べ物(バター)を拾って食べる、原色を好む、年齢を重ねた黒人女性は太っている、サンボ達の表情がほぼ同じで非人間的……など、全て黒人の固定化されたイメージである、などの指摘が挙げられます。

絵本でステレオタイプ化された黒人像を読む子供達へ刷り込み、人種差別を助長している、というのが主な主張。

 

アフリカ系黒人のコミュニティがない日本で生活している大多数の日本人にとっては、挙げられたイメージ像にピンと来ない話かもしれませんね。

ただ、私は「年齢を重ねた黒人女性は太っている」の辺りで、グサッときましたよ。

ちょっとこれ、わかる気がする……!

1939年制作のハリウッド映画『風と共に去りぬ』で、主人公の乳母を務める黒人女奴隷マミーが重要な役割を果たしているのですが、当時の映画における黒人女性像のステレオタイプそのまんま。

そのマミーとまんぼが似ている、と思ってしまって……。

フランク・ドビアスさんが『ちびくろ・さんぼ』の絵を描いたのは、1920年代半ば頃と推定されるので、時代設定やジャンルは違えども、人物像のベースが近くなるのは、あり得ない話ではないのかも……?

 

 

イメージが各種メディアからの情報によって形作られやすいと考えれば、固定化されたイメージの刷り込みを危惧するのは、確かに納得できる話。

差別は無知から始まりますが、相手への理解がないまま、誤ったイメージだけが強くなる一方になれば、差別も強くなる可能性は高くなります。

ひとつひとつは小さな影響でも、回数を重ねれば、イメージは強固に……。

絵本と言えども見逃せないと考えるのも、おかしくはありませんね。

 

日本における絶版措置問題

私が子供の頃、数多くの出版社から様々な絵で出版されていた『ちびくろ・さんぼ』。

しかし、世界的に黒人差別撤廃運動の機運が高まっていた時流の中、前述した要素を元に、日本では絵本で黒人像のステレオタイプを子供達へ刷り込んでいるとの指摘が始まり、マスコミを中心として、前述した一連の指摘に見られる差別的要素を批判する意見が噴出。

結果的に、1988年から、各出版社による一斉絶版措置が開始されます。

日本で最も有名だった岩波書店版(1953年出版)を始めとする、ちびくろ・さんぼの絵本は軒並み姿を消しました。

今なお、岩波書店を始めとする多くの出版社からは再販されていません。

 

ただ、ここで話がこんがらがるのは、日本ではこの絶版措置は法律的な根拠に基づくものではないのですよ。

あくまでも、日本の出版界による自発的な措置……今風に表現するならば、社会情勢への忖度です。

その状況では、絶版措置の判断が妥当なのか、という反論が出るのも当たり前の話。

絵本としての素晴らしさと差別問題が同居している『ちびくろ・さんぼ』は、日本国内においても、未だに取扱いに関する論争の棚上げ状態が続いています。

 

ちなみに、黒人への人種差別だとして『ちびくろ・さんぼ』を否定する事は、文化的多様性を否定する逆差別ではないのか、という考え方もある訳で……。

差別を言い立てる事が逆の差別を生んでいる、という指摘は、よく聞く話ですね。

や、ややこしい~~!!

時代の違いを考慮して原作のままにすべきか、それとも問題点を取り除いて改作するべきか、いっそ絶版にしてしまうべきか……どれが正しいかなんて、判断のつけようがありません。

その為、「差別的問題は存在しない」という主張を採用する瑞雲舎から、著作権が切れた岩波書店版が復刊されて、今もこうして日本の出版界に出回っているのです。

 

これ……どちらが正しいのか、という問いに、答えはないのでしょうね。

差別は人間の考え方次第で判断基準が変わります。

『ちびくろ・さんぼ』は黒人をフラットな視点で捉えている良書と言われていた過去もあるはずなのに、今ではこの扱いですからね……。

おそらく、水掛け論は当分続くと思われます。

 

個人的な意見としては……

差別要素の有無については、判断できるのは、差別される側だと思うんですよ。

差別する側が差別に気付かないのは当たり前、その無知が差別を生むのですから。

その意味で、『ちびくろ・さんぼ』が批判され、絶版措置をされたのも、やむを得ないかな、とは感じます。

 

だって、日本人の自分に置き換えた絵本を想像してみた時、私は不快に感じましたから。

皆様、ぜひ自分の立場に置き換えて想像してみて下さい。

主人公は真っ黄色の肌と糸のように細い吊り目をしたチョンマゲの子供、名前は日本人の蔑称「ジャッ○」、すぐに刀を振り回しながら、生魚を頭からバリバリ食べる絵本が世界的ヒットしたら?

それが国際的な日本人のイメージを作る一助になっているかもしれないとしたら?

その絵本を黙って受け入れますか?

ああ、でも自分達の日常生活に影響がなければ、気にしないのかな……。

逆に、日常生活に影響があれば、黙っていられません。

その黙っていられない状況が常に続いているのが、アフリカ系黒人が直面している現実なのかな、と思うのです。

なにしろ、黒人への人種差別は本当に最近まで、いやむしろ現在に至るまで大変根深いもので、未だに実生活にも影響があるものだと言われていますからね。

 

差別だと知らなかったしても、出版当時と今の時勢の違いを考慮したとしても、日本人にとっては指摘される差別の内容に馴染みが薄いとしても、無知は免罪符にはならないのではないでしょうか。

少なくとも、私は『ちびくろ・さんぼ』を無邪気に楽しむ事だけはもうできないなあ……。

 

なお、立場や状況が変われば、人は差別する側・される側どちらにもなります。

島国の日本国内にいると気づきにくいですが、日本人も国外へ一歩出れば、思いっきり差別される側になります。

アメリカでかつて奴隷制を経験し、激しい差別にさらされてきた黒人だって、違う立場の相手に対しては、差別する側に立つのですよ。

更に、変な話ですが、差別にも流行があるような……?

黒人差別は問題視されても、アジア人差別は無視されている現状は、どう考えればよいのでしょう??

 

人種も文化も考え方も違う人々が当たり前のように交差する今の時代、差別は社会の分断を招き、火種となり得る問題。

さんぼが小さな背中へ背負うには荷が重過ぎる問題ですよ。

 

 

我が家の読み聞かせ

これまで述べてきた『ちびくろ・さんぼ』を巡る問題を考えた時、息子達に『ちびくろ・さんぼ』を読むべきかどうか、少々悩みました。

植民地ありきの制作経緯については、過去があっての現在ですから、歴史的経緯としてはまだ吞みこめる話。

しかし、なにげなく読む絵本を通して、人種差別のイメージを育ててしまうのは、本意ではありません。

問題が許容、もしくは無視されていた時代ならば、無邪気に親子で楽しんで終わり、で良かったでしょうけれど、今はそういう時代ではありませんしね……。

 

悩んだ末に、我が家では読み聞かせる選択肢を選びました。

ただし、将来的には楽しむだけの絵本に終わらせない、という絶対条件付き。

息子達が成長して、前述した問題の数々を自分の頭で考えられるようになった時、子供の頃に読んだ『ちびくろ・さんぼ』をどう考えるのか……前述した内容に対して、自分達で判断を下してほしいと考えての事です。

その為には、親である私が将来的に、植民地の歴史や差別の問題について、話していかなければならない、という義務を負う事を意味しています。

 

私の中にも差別の芽は沢山あります。

この記事中で、私は散々「黒人」という言葉を使ってきましたが……これって、思いっきりレッテルを貼っていますよね?

私は自分の事を「黄人」なんて呼ばないのに、どうして「黒人」とは呼ぶのか?。

肌の色でラベリングするのは、差別ではないのか??

『ちびくろ・さんぼ』について考えていると、自分の心の中にいくつも根を張っているものがある、と気づかされます。

息子達にはぜひ、植民地や人種差別とは何か、自分の中の差別意識と向き合う為の問題提起をする1冊として、活用していってほしいですね。

 

ま、現状では、8歳と6歳の息子達にとって『ちびくろ・さんぼ』は、さんぼと虎のやり取りが愉快な絵本。

大人の事情など一切知らない彼らは、虎がバターになる場面や、まんぼが焼くホットケーキを見ては、「おいしそうだなあ」「ホットケーキ食べたい!」と2人でわいわい騒ぐ、楽しい時間を過ごしていますよ~。

 

 

まとめ

『ちびくろ・さんぼ』は素晴らしい絵本なのに、その背景を語るには問題が大き過ぎて重過ぎて……正直、私の手には余ります。

息子達へ読み聞かせるのも、本当にこれで良いのかと迷ってばかり……。

そもそも、正解なんてどこにもないのが厄介なんですよ。

結局は、時代や状況によって簡単に変わっていく、モノの見方、考え方、捉え方の問題なのですから。

 

余談ですが、アメリカの出版界でも、どうやら絶版や改作など地域ごと(出版社ごと?)に選択肢が分かれているようなんですよ……。

アメリカで子育てをしている知人から、子供に英語版のちびくろ・さんぼの絵本を読み聞かせたよ、と聞いた話なので、不確実な情報なんですけれど……。

えー、売ってるの??

どの程度の改作が施されているのかは未確認ですが、国全体で完全な絶版という訳でないのかな……と、私は考えています。

アメリカの出版事情はどうなってるんでしょうね~~?

 

さて、今も日本で細々と、けれど確実に読み継がれている『ちびくろ・さんぼ』。

皆様はその背景にある問題を知った上で、「絵本に罪はなし」と判断しますか?

それとも、「絶版はやむなし」と判断しますか?

 

 

作品情報

  • 題 名  ちびくろ・さんぼ
  • 作 者  ヘレン・バンナーマン(文)フランク・ドビアス(絵)
  • 訳 者  光吉夏弥
  • 出版社  瑞雲舎
  • 出版年  2005年
  • 税込価格 1,100円
  • ページ数 30ページ
  • 対象年齢 幼児
  • 我が家で主に読んでいた年齢 3~6歳(幼稚園年中頃から話に集中)