水の状態変化を冒険譚仕立てにした変わり種、ポーランド生まれの科学絵本。
一見子供の落書きのように感じる絵ですが、侮るなかれ、初めての科学への一歩を踏み出すにふさわしい良作です。
主人公は、表紙にて、薔薇を片手に「ヘ~イ!」と言わんばかりの微笑みを浮かべる水のしずく。
このしずくが繰り広げるドタバタ騒ぎを読むだけで、知らず知らずのうちに水の性質を感覚的に学べる仕組みなんですよ。
科学絵本と言っても、いかにも勉強目的の雰囲気は一切なし!
ごく自然にストーリーへ水の状態変化を取り込んであるので、子供が普通に読んで楽しんで、成長すれば「あれは水の科学だったんだ!」と気づくレベルの読みやすさ。
更に、絵のデザインや配色や書体に至るまで、実は一流の作り手によるセンスと工夫がたっぷり込められているので、読めば読むほど、良さを噛みしめる事に……!
日本で半世紀以上愛され続けている『しずくのぼうけん』、ぜひご一読ください。
簡単なあらすじ
とある水曜日、バケツからぴしゃんと飛び出した水のしずく。
風の吹くまま気の向くまま、あらゆる場所へ旅するしずくの行先は、クリーニング屋、病院、雲の上、岩の割れ目、川、水道管、洗濯機……。
様々なアクシデント(?)に見舞われて、その度に姿を変えて旅するしずく。
さあ、次の旅の行先はどこ??
絵本の紹介
主人公しずくのキャラクター性が面白い
主人公は人間でも動物でもなく、ただの水、というのが変わっているでしょう?
子供の落書きのような手足をちょんちょんと描き足しただけ、シンプルに擬人化された水のしずく。
雲になったり雨になったり氷になったりしながら、空から地下に至るまで、色々な場所を次々に冒険……するんですが、しずくが好奇心一杯でそそっかしいお調子者の性格をしていて、言動がいちいち面白いんですよ。
水の中にはまって「おぼれてしまうわ!」と騒いだり、
岩の割れ目にはまって「このまま ここで しんじゃうのね」と嘆いたり、
岩を転げ落ちて「たすけて!」と助けを呼んでみたり……。
いやいや、しずくは水なんですから、溺れないし、死なないし、怪我もしないんですけど~~?
他にも、お医者さんに煮沸消毒されかけたり、洗濯機でぐるぐる回される羽目に陥ったり、アクシデントの度にわーわー騒いで逃げ出すしずく。
あわてんぼうのしずくの一挙一動には、ついついクスッと笑いが込み上げます。
このクスクス笑いのユーモアをお話のそこかしこに散りばめ、展開のスピーディーさと軽快な語り口で、しずくの旅路は息つく間もなくノンストップ!
しずくにかかれば、どんなにありふれた場所でも、大冒険の舞台へと早変わりです。
冒頭で述べた通り、この絵本は一種の科学絵本……なのですが、勉強目的の科学絵本っぽさがなく、純粋に楽しんで読みやすいのは、しずくの愛すべきキャラクター性のおかげかもしれませんね。
文章も絵も実はすごいぞ~~!
この絵本の日本語訳、読んでいてとても素敵な訳だなあ、としみじみ。
訳者の内田莉莎子さんは『てぶくろ』『おおきなかぶ』など数々の絵本の名訳で有名な方ですが、この絵本でも、その素晴らしい日本語センスを遺憾なく発揮されています。
リズム感の違うポーランド語、しかも科学的な説明要素が強くなりがちな描写を子供に親しみやすく、節回しをつけて歌うように読みたくなる文章に仕上げてあって、読み聞かせている私はいつも吟遊詩人気分。
言葉選びのひとつひとつも、日本語の美しさを感じられるセレクトです。
例えば、こちらの言葉の選び方!
”こおった いわが ばんと はぜた”
(引用元:福音館書店 マリア・テルリコフスカ(文)・ボフダン・ブテンコ(絵)・内田莉莎子(訳)『しずくのぼうけん』1969年出版)
「ばくはつした」ではなく、「はぜた」と表現している辺り、リズム感と美しさを重視してありますね。
絵本を読む幼児が日常生活ではなかなか耳にしない語彙の豊かさへ触れられる、またとない機会へとなってくれています。
また、絵も技あり!
絵を担当したボフダン・ブテンコさんは、絵本のみならず、ポスターやアニメ映画まで幅広く手掛けた、ポーランドを代表する人気イラストレーターだった方です。
なるほど、この絵本に見られる、アニメチックな漫画的表現や、東欧らしさを残しつつメリハリの効いた鮮やかな配色は、その多彩な経歴を聞けば、納得。
もしかしたら、初見の方は「水のしずくに目鼻口と手足をちょんちょんとつけただけ、これなら誰でもでも描けるよね??」と思うかもしれません。
でも、考えてもみて下さい。
水のしずくを主人公にした時、子供がひと目て「あ、水のしずくだ!」と分かるビジュアル……恐らく1番シンプルな造形がコレですよね。
この絵本では、描かれる形は全て、子供にとってのわかりやすさを重視して描いてあるんですよ。
その一方で、ポーランドの日の光を感じさせる、カラフルでありながら落ち着いた色使いをふんだんに使い、画面の楽しさを演出してある……この遊び心とモダンさを感じる絵を50年以上前に描くだなんて、そう簡単にできる事ではなかったはず、と私は思うのです。
水の三態を感覚的に理解する
『しずくのぼうけん』では、温度や圧力によって気体・液体・個体へと状態変化する物理変化の法則「物質の三態」、その中でも人間にとって最も基本的な物質である水の状態変化、「水の三態」を感覚的に学べます。
水の三態とは、水が温度によって変化する、氷(固体)・水(液体)・水蒸気(気体)の3つの状態を指す用語。
状態が変化しても、名称が変わりこそすれ、水は水。
物質としての変化はありません。
固体が解けて液体になる融解・液体から気体へと変わる蒸発・液体から固体へと変わる凝固・気体から液体になる液化など……普段私達が目にしている水の変化を主軸に据えて、ストーリーが構成されています。
要するに、主人公のしずくは水ですから、寒さで水が氷になったり、水が乾いて水蒸気になったりする科学的変化を描いている、ただそれだけのシンプルな話。
現代の大人からすれば、水の状態変化なんて当たり前過ぎて、今更感が強いかもしれませんね。
けれど、絵本は子供の為のもの!
世界が未知であふれている幼児にとって、水の状態変化は「何それ!?」となる驚きの原理です。
水は乾いても姿が見えない水蒸気になるだけ、というのは、なかなか理解しがたい摩訶不思議な大発見でしょう。
だって、水蒸気なんて目には見えないのにどうしてそんな事がわかるんでしょう?
しずくが魔法のように空を昇っていく場面など、マジックでも見ているような気分でしょうね。
更に、この絵本では、水の単なる外見上の変化だけでなく、他の特性についても学べます。
水をお鍋で煮れば、煮沸消毒されて、ばい菌を殺菌できる事。
水が雨や川、水蒸気などに姿を変えながら、自然の中を巡っていく「水の循環」。
水が固体=氷になる際は体積が約10%膨張する原理により、時には岩をも砕く事。
水道の水は、川などから取り込んだ水を濾過して綺麗にして使われている事。
これら、水に関わる様々な科学的常識や仕組みをしずくがわちゃわちゃ騒いでる姿から学べるとは……のほほんとしたしずくの能天気な顔からは、ちょっと想像つかないかもしれませんが、本当にちゃんとした科学絵本なんですね~。
しかし、幼児相手の絵本ですから、理屈っぽい説明はゼロ!
ただただ、水の科学的事実をしずくが経験する不思議な冒険として描写して、頭ではなく、感覚で学べるようにしてあるのです。
うーむ、これは幼児向けとしてかなりうまい……!
美しきレタリングの世界へようこそ
この絵本を凝っているなあ、と私が感心するのは、表紙のタイトルも、中の文章も、書体が手描きという点。
書体のデザイン、つまりレタリングは、絵本『ぐるんぱのようちえん』でお馴染みの絵本作家、堀内誠一さんが手がけてます。
そそっかしくて好奇心一杯のしずくの心の声をそのまま文字に写し取ったような書体は、絵本の魅力を倍増させていますね。
しかし、手描きの書体は絵本でも時々見かけるとは言え、どうして絵本作家の堀内誠一さんがわざわざ『しずくのぼうけん』のレタリングを……?と調べてみたところ、理由は2つありました。
第一の理由:ポーランド語版のレタリング
まず、そもそもなぜ手描きの書体を採用したかという答えは、ポーランド語版の原書にありました。
この絵本の原書を調べてみると、ボフダン・ブテンコさんによる手描きの書体が非常に特徴的なんですよ。
表紙はもちろん、ページをちょっとめくってみれば、この絵本独特のちょっとレトロで・洒落ていて・軽妙な空気感を汲み取った書体の存在感がばっちり。
書体がデザインの一部となっていて、この絵本の重要な柱である事は一目瞭然です。
ああ……これは日本語版出版の際には、避けて通れない課題になったんでしょうね……。
絵本全体のデザインとしてこれだけ大きな存在感を放つ書体を無視して、既存の書体を使ってしまう訳にはいかなかったはず。
けれど、書体を考えるのって難しいんですよ~。
ほんのわずかな違いでも作品の雰囲気が変わってしまう、めちゃくちゃ奥の深い世界!
ポーランド語の書体、特に作中で使われているまろやかな曲線が多い筆記体のアルファベット。
これをいかに、原作の雰囲気を変えずに、子供にも読みやすい日本語のひらがなへ変換するか。
関係者の頭を悩ましたであろうレタリング問題をこれ以上ない素晴らしい形で解決したのが、堀内誠一さんです。
第二の理由:堀内誠一さんと『しずくのぼうけん』の関係
恥ずかしながら、私は今回調べるまで知らなかったのですが、堀内誠一さんは絵本作家だけでなく、エディトリアルデザイナー(出版物をデザイン的に美しくかつ読みやすいように編集する職業)でもあった方です。
1932年生まれの堀内誠一さんは、戦後のデザイン界を代表するアートディレクターとして、雑誌や広告の業界でも大活躍!!
雑誌『POPEYE』『BRUTUS』『OLIVE』『an・an』『esse』……大人の皆様は、これらの表紙を本屋で一度はご覧になった事があるでしょう。
これらのタイトルロゴをデザインしたのも、堀内誠一さんです。
ある意味、デザインとして書体に拘るレタリングの第一線を走っていらした方だったんですね。
同時に、絵本作家としての活動は1958年からスタート。
その活動は1960年代後半以降に活発化し、代表作『ぐるんぱのようちえん』が出版されたのは1966年、『しずくのぼうけん』の日本語版が出版される3年前の事でした。
『しずくのぼうけん』のレタリングを依頼するならば、デザイナーとしての優れたセンス、「子供の為の絵本作りがどんなものか」を理解している絵本作家としてのセンス、両方を兼ね備えた堀内誠一さんはうってつけの人選だったでしょう。
しかも、訳者の内田莉莎子さんの妹が堀内誠一さんの妻……2人は義理の姉、義理の弟という関係なんですよ。
え~~、そんな偶然あります~~~??
いや、それが事実なんですよねえ……もちろん、2人の関係性がどこまでこの絵本の日本語版出版に影響したかは、想像の域を超えませんよ?
堀内誠一さんがプロの仕事として請け負ったのは、『しずくのぼうけん』が魅力ある絵本だったから、という理由もあるとは思います。
が、この2人の関係が、「レタリング担当:堀内誠一」へ何の影響もなかったとは考えにくい……と思うと、ご縁というのはつくづく面白いものですね。
おかげで、『しずくのぼうけん』は、日本語版でもポーランド語版に負けず劣らずの素晴らしい書体を実現できた訳ですから。
『しずくのぼうけん』に見られる、素敵なレタリングの世界。
ぜひ読み聞かせる大人の皆様には注目して頂きたいポイントです。
我が家の読み聞かせ
我が家の長男の場合、4歳までは反応が薄かったんです。
私がどんなに読んでも「ふーん?」と言った感じで、自分からはまず手に取らず……。
それが、5歳後半からはこの絵本へ急に興味を持つようになりました。
どうやら、実生活において水の状態変化をうっすらと理解し始めた事で、この絵本の面白さに気付いた様子。
雪を手に取れば溶ける、お湯から湯気が立ち昇る……そういう日常の水の経験を積み重ねてきた上で、改めて『しずくのぼうけん』を読んだ時、実体験と絵本に描かれた知識が初めて脳内で結びつき、「水ってこんなに色々変わるんだ!」と目から鱗だったみたいです。
科学絵本は、知識と実体験が結びつく事で学びとしての相乗効果が出るものですが、長男はまさにその経緯を辿ったようです。
私個人としても、長男と『しずくのぼうけん』との関わり方を通して、科学絵本には科学的な理解→物語的な楽しみ方というケースがある、と勉強になりました。
なにしろ、私は子供の頃にこの絵本を読んで、物語的な楽しみ方→科学的な理解、と順番が長男とは逆だったものですから、それが普通だと思い込んでいたんですよ。
絵本の読み方は人それぞれ、というのを改めて実感。
絵本に最初興味を示さなくても、まずは読み聞かせて、本人の中で時が来るのを待つ……というのも大事なんですね。
まとめ
科学絵本と聞くと、なんだか敷居が高いイメージかもしれませんが、『しずくのぼうけん』に限って言えば、非常にとっつきやすい絵本です。
ただの冒険物語として読むだけでも充分、むしろ科学成分を無視してOK。
水って不思議、水って面白い!と感じてもらえれば、もうそれだけで水の秘密に一歩近づいているのですから。
知的好奇心を育む事は科学への一歩、冒険物語を楽しむ事は文学への一歩。
どちらにしても、子供にとってはプラスしかありませんね。
しずくの終わらない旅へ、ぜひご一緒してみませんか?
作品情報
- 題 名 しずくのぼうけん
- 作 者 マリア・テルリコフスカ(文)・ボフダン・ブテンコ(絵)
- 訳 者 内田莉莎子
- レタリング 堀内誠一
- 出版社 福音館書店
- 出版年 1969年
- 税込価格 990円
- ページ数 24ページ
- 対象年齢 4歳から
- 我が家で主に読んでいた年齢 5~7歳(絵本を読んで水の実験を一緒にすると喜びます)