大切な人を失った悲しみから立ち上がる。
とても難しいですよね。
ぽっかりと穴が空いてしまった心。
残された者はその心を抱えてこれから生きていかなければいけない……でも、どうやって?
これは、とある老夫婦にとっての思い出の味おだんごスープを通して、「死」、そして残された者のこれからの「生」を描いた絵本。
「食」が人間にとってどれほど重要か、人生にどれだけ大きな意味をもたらし、人と人の心を繋いでいくか、を教えてくれる物語は、もはや上質な人間ドラマです。
大人が読んでも心に沁みる……!
子供が、この文章と絵の両面から丁寧に描写された心の機微を読み取れるようになれば、読書好きへの一歩を踏み出せるかも?
希望に満ちた結末が心温まる秀作ですので、ぜひご覧ください。
簡単なあらすじ
おばあさんが亡くなってからというもの、何もする元気がないおじいさん。
今日も何かする気になれないまま、ひとりぼっちの一日が終わります。
そんな中、ふと思い出す、おばあさんが作ってくれたおだんごスープの味。
ああ、あのおだんごスープをまた食べたいな……。
絵本の紹介
悲しみから立ち上がるきっかけとなるのは……?
この絵本をめくって最初のページは、見るからに陰鬱な部屋から始まります。
おじいさんが一日座って過ごす部屋は、暖炉の火が消えて薄暗く、花瓶の花は枯れて、床にはパンの袋とミルクの瓶が転がったまま……。
おばあさんの定位置だったと思しき、花柄のクッションを乗せた椅子と傍らに置かれた編み物カゴはそのまま時間が止まってしまったかのよう。
けれど、主が戻る事はなく、室内には寒々しい澱んだ空気が漂います。
生きている以上、いつかは必ず誰しもが家族や友人の誰かしらを失う定め。
とはいえ、苦楽を共にしてきた長年の伴侶たるおばあさんに先立たれたおじいさんの悲嘆と孤独は、理屈で慰められるものではありません。
おばあさんの時間が終わってしまった時、おじいさんの時間も止まってしまった状態。
小さな子供には想像もつかぬ喪失感が、部屋の有様にまざまざと表れています。
そもそも、独りぼっちでは、元気なんて出るはずもないですよね……。
この荒れた室内にて、止まってしまったおじいさんの時間を動かす転機となったのは、おばあさんが作ってくれたおだんごスープの思い出。
あの味をまた食べたいとふと思い立ち、おばあさんが口ずさんでいた「おだんごスープの歌」の記憶を辿りながら、料理をしてみるおじいさん。
この思い出のスープ作りを通して、おじいさんが立ち直っていく描写が見事なんですよ!
ぎごちない手つきでスープを作るおじいさんの元へ、毎日小さな訪問者が訪れて、スープのご相伴に預かっていきます。
最初は3匹のねずみ、次は猫……みんな、おだんごスープをぺろりと食べてご満悦。
回数を重ねるごとに歌の内容を詳しく思い出して上達していくスープと、日々数が増えていく訪問者達。
おじいさん、最初は自分の分だけを作っていたのに、いつの間にか訪れてくれる皆の為に作り始め、明日のスープはどう作ろうかと考えるようになるのです。
まさに食べる事は生きる事、誰かと囲む食卓は人生の喜び。
食事とは、ただ物を食べて栄養を摂取するだけの行為ではありません。
食を共にする事で、身体的な距離が近くなるだけではなく、心と心が交わり、人間関係を築いていくのが、人にとっての食事。
自分の為だけに作る食事よりも、誰かの為に作る食事は楽しい。
ひとりで食べる食事よりも、誰かと食べる食事は美味しい。
おだんごスープを通して、ひとりぼっちだったおじいさんへいくつもの出会いが訪れ、止まっていた時間は明日という未来へ動き出す……この絵本には、「食」が人生に占める大きな役割を伝えるメッセージが込められていますね。
絵に描写されたおじいさんの心情
作中には、おじいさんを直接慰める台詞も文章もありません。
おじいさんの心境の変化を具体的に綴る事はなく、物語の流れで表現している為、人生経験と読解力の浅い子供には、文章だけで読み取るのは難しいでしょうね。
けれど、言葉では語らずとも、絵本は他ならぬ絵で心境の変化を細やかに表現できるのが強みだと、本作では実感できますよ。
まず、この絵本、おじいさんの家の中から視点が動くことはありません。
出てくるのは、居間、そして玄関と繋がった台所兼食堂の2部屋だけ。
しかし、この2部というに限定された場面での、半ば固定された視点による描写が秀逸です!
訪問者が増えていくたびに、荒れ果てた部屋に段々温かな光がさして明るくなっていき、散らかったものが片付けられていき、花瓶の枯れた花がピンクの薔薇へと変わっていく様子。
まさにおじいさんの心に光が射していく経緯そのものを表していますね。
同時に、おじいさんの顔も無気力な表情から、目に力が戻り、硬い笑みはごく自然な笑顔へ。
おじいさんが料理する鍋のサイズも、来てくれる皆と一緒に食べられるだけの量を作る為、どんどん大きくなる一方。
1人で食べるパンとミルクがどれだけ味気ないものだったのか、皆で囲むおだんごスープがどれほど美味しいものか。
おばあさんとの団欒の象徴だったおだんごスープが、新たにおじいさんと小さな訪問者達との団欒の象徴へと変わっていきます。
過去を振り返って嘆くだけだったおじいさんが、おばあさんとの思い出を糧にして、明日を待ちきれない思いで楽しみにする姿、未来を向いていく姿には心打たれるものがありますよ。
私が特に感銘を受けたのは、ラストのおじいさんと椅子を巡る描写ですね。
おじいさんが食卓を囲む皆から一緒に食べようよと呼ばれるのですが、満席なので、テーブルには座る席がありません。
そこで、おじいさんは隣の居間から、おばあさんの椅子を運び、そして座るんですよ。
おばあさんが亡くなってから、ずっと誰も座る事もなかった椅子。
おじいさんにとって、おばあさんを象徴する特別な椅子。
その椅子を動かして、おじいさん自身が座った時、ああ、おばあさんの死によって止まっていた時間が今完全に動き出したんだな、と感動しました。
自分を必要としてくれる誰かがいるという事実が人間の寂寥と孤独を癒すのは、万人にも通じるのかもしれませんね。
それにしても、たった1脚の椅子に意味とドラマ性を持たせるとは、小道具の使い方も実に心得ています。
ちなみに、おばあさんがどんな女性でどんな人生を過ごしてきたかは、文中で具体的に語られる事は一切ありません。
それでも、おばあさんの人柄が偲ばれる要素が、そこかしこにあります。
花模様や市松模が好きで、ピンク色が好きで、編み物が好き。
日々の生活の中で花を生け、台所を綺麗に片づけて、得意料理はおだんごスープ。
料理中に口ずさんでいたのは、自作の歌。
おじいさんの心の変化に伴い、幸せな思い出もどんどん蘇ってきて、おじいさんへ優しく微笑みかけるおばあさんの存在が、見えないけれども物語の根底に感じられる……。
直接的に描かずとも、ちょっとした描写を積み重ねて人物像を掘り下げる事で物語に深みをだすとは、この絵本、本当にすごいです!
この絵本を描いた市川里美さんについて
文章は、ジブリ映画の原作にもなった児童文学「魔女の宅急便」で有名な物語の名手、角野栄子さん。
細かな説明や具体的な描写はなくとも、人の心の動きを描き出す手腕はさすがです。
でも、私がこの絵本で特に注目したいのは、市川里美さんの絵による繊細な描写!
私は市川里美さんの事をこの絵本で初めて知りました。
前述したおじいさんの心境の変化を細やかに描く手腕も素晴らしいですし、全体的なセンスがどことなく日本人離れしていて、最初は海外の絵本作家さんかと思っていたんですよ。
絵本の中に出てくるファブリックやインテリア、雑貨やファッションに至るまで、その色使いやセンスが、日本人の絵本作家さんが描きがちなタイプとは一味違って、お洒落。
それでいて、妙にリアルな生活の匂いも感じるのです。
様々な人種の子供達が出てくるのですけれど、その表情や動きなどもごく自然。
どこの国の方かしら、海外モノにしては絵がクドくないと思ったら、日本人名……??
調べてみたら、岐阜県大垣市出身で、1971年からパリに移住し、そのままパリで現在に至るまで作家活動をしていらっしゃる方なんだとか。
あ~、道理で、生活に基づいたリアリティがある絵なのですね。
センスについても、これがパリの水に洗われるって事なのかな……なんて、考えるのはミーハー過ぎるでしょうか?
絵から読み取れる情報量の多さはかなりのものですので、市川里美さんの絵に注目して読んでみるのも、ぜひオススメします。
我が家の読み聞せ
この絵本、我が家のちびっ子兄弟に読み聞かせてはいますが、子供の頃には真の意味で理解する事はできないでしょう。
そもそも、息子達は「死」に触れた事がありません。
テレビや本では「死」について読んで知っているし、アリを踏んでしまったり、ミミズが干からびているのを見た事はあっても、同じ人間の「死」、身近な人の「死」にはまだ無縁。
ですから、この絵本に描かれているおばあさんという存在の消失、おじいさんの喪失は、彼らにとってはどこか遠い国の絵空事に過ぎないのです。
でも、絵本は記憶には残らずとも、心の奥底に残るもの。
いつか大人になった時、いつか身近な人の「死」に行き合った時……この絵本に描かれたおじいさんとおだんごスープのお話はきっと力になってくれる、と私は考えています。
とりあえず、今の彼らに感想を聞いてみたところ、「おじいさんのおだんごスープ美味しそう、食べに行きたい!」「みんなが遊びに来てくれて楽しそうだね!」ですって。
うん、今はそれで充分!
おだんごスープ、家でも似た感じのを作ってみようね~。
まとめ
食が人生にもたらす豊かさと幸福の象徴が、おじいさんにとってのおだんごスープ。
おばあさんはもういなくなってしまったけれど、その思い出はおじいさんと世界を繋ぐ大切なモノとして、おじいさんをこれから支えていくんでしょうね。
絵本を読み終わって考えるのは、私にとっての「おだんごスープ」、息子達にとっての「おだんごスープ」は何になるのかなあ……という事。
人と人を繋いでくれる思い出の味があるって、素敵ですよね。
さて、皆様の思い出の味は何ですか?
作品情報
- 題 名 おだんごスープ
- 作 者 角野栄子(文)・市川里美(絵)
- 出版社 偕成社
- 出版年 1997年
- 税込価格 1,540円
- ページ数 32ページ
- 対象年齢 5歳から
- 我が家で主に読んでいた年齢 4~6歳(大人にもオススメ!)